あなたをとりまく「自然」と出会うために(2/2後編)

Opening the Wind

風をひらく教え~

母なる地球に触れて生きてきたアメリカ・インディアンの人たちには「風をひらく」という古い教えがある。それは、聞こえてくる風の音をとおして自分をとりまく世界を理解すること。

現代人が忘れてしまった「自然な生き方」のヒントが吹く風の中に隠れているのでしょうか?

ウェスタン・ショショーニ族の長老から教えを乞う。

●「自然」を理解するためにあなたをとりまく風の音を聞き分ける

私たちが「目」で見ている以上のものを、実際の「目」がとらえているように、私たちの「耳」もまた、聞こえている以上の物音をとらえている。そして「耳」に聞こえている風の音をとおして世界を「自然」を理解するための古い教えである。

この世界に存在する「古い教え」と同じように「風をひらく体験」も、少しも複雑ではない。

その意味するものは? どうやってそれを行えばいい?は、誰にでもたちどころに理解できるものだろう。

しかし、実際にやってみれば、それが思ったほど簡単にいかないことが、心でわかるのである。言うは易く、行うは難し、と昔の人は言っている。

この教えを20年ほど昔にネバダとカリフォルニアの州境にある砂漠で学んで以来、繰り返しさまざまなところで風をひらいてきた。また、これを自分の息子にも伝えたいと思っている。それはローリング・サンダーから聞いたさまざまな物語にも似ている。風をひらくと、聞こえているもの以上のものが聞こえ、また、異なるたくさんの次元が、そこにあることをあらためて実感させられることがある。この意味では、物語と風をひらくことはよく似ている。

では、どうやって人は風をひらくことができるか?

以下がそのやりかたである。

まずはじめにすべきことは、人々の喧騒から離れて、静かに座っていられる場所を見つけることである。これはなにも、人里はなれた深い森の中に行くとか、高い山の頂を目指すとかを意味しない。もしあるなら裏庭でもよいし、浜辺でも、公園でも、ビルの屋上でも、どこでもかまわないから、一人でじっと座っていられる静かな場所を探すということである。

大都会で暮らしていても、比較的静かな、テレビの音などが聞こえて来ないような場所を探すことはできる。雑音が全くない場所を探す必要はないのだ。私は東京の青山に建つ8階建てのマンションの最上階の部屋のベランダで、夕暮れの訪れを見ながら風をひらく体験をもったこともある。重要なのは、誰からも邪魔されずに、屋外でしばらく腰を下ろして、耳を傾けていられるような、心の休まる場所を見つけることなのである。

椅子は使っても使わなくてもかまわないし、姿勢にとらわれる必要もない。

時間は日没をはさんでの2時間ぐらいがベストだ。昼と夜の裂け目のこの時間帯には、じつに色々なことが起きるものだから。

そうやって世界が夕闇に包まれはじめ、光がゆっくりとかげりを見せはじめたら、目を内側に向け、耳を開く準備も整ったということになる。

次に目を閉じて、そこに座っている自分を中心にして、ひとつの大きな輪をぐるりと描いたところを想像する。そして耳をそばだてる。自分が創造した円に心と神経を集中させ、そのなかで聞こえるすべてのもの音を、何であれ何一つも聞き漏らさないようにつとめる。床のきしむ音、座っている椅子のたてる些細な物音、自分の息の音、着ている服のこすれる音だって聞こえるだろう。

はじめのうちはそれぞれの音を聞き分けるのは至難のわざかもしれない。しかし焦らないで続けること。ひたすら、ただひたすら、自分の呼吸の音に耳を傾けること。そうやって円の中で聞こえているすべての音の一つ一つに焦点を当てていく。心を落ち着け、リラックスし、もし体を動かしたくなったら動かせばよいが、できるだけじっと静かに座り続ける。気がつけば、自分の呼吸だけでなく、自分の心臓の鼓動すら聞こえているかもしれない。

自分が頭の中で想定した円の外側から流れ込んでくる音に、心がとらわれることだってあるかもしれないが、その音に心を奪われてはならない。そういう音は聞き流せばよい。いずれ時が来ればその音の正体も分かるはずだし、今はその音がそこにあることだけを意識すればいい。とりあえず自分の周辺にある音の一つ一つに集中していく。そうやって自分が最初に思い描いた円の中にある音のすべてに十分耳を傾けたと、あなたが思えたら(もちろんその時間はあなたが自分で判断するわけであって、タイマーなどで測れるような時間ではないのは当然だが)、最初の円の中にあるものの全ての音をあらかた聞き分けたと確信ができたなら、その時おもむろに目を開いて世界を見ること。首を回して、周囲を見ること。そうやって周囲を見て、そこにある音の一つ一つの発生源を確認して行く。目には見えなくても聞こえているものの存在も、どこかにあって音を出しているものの存在も、もうあなたにはどこにあるかはわかる。音だけ聞いては何だか分からなかったものも、しっかりと確認できる。つまり、あなたは最初の風の声をそうやって聞き分けたことになるのである。

最初の風の声を確認できたなら、次に、さっきの円よりもさらに大きな円を自分の回りに想定する。最初の円の2倍から3倍のものを思い描くのがよいだろう。そして再び目を閉じて全神経を耳に集中させる。この場合、最初の円の中で聞こえる音をあえて頭から振り払おうとしない方が良いし、その必要もない。先ほど聞いた音は今もそこにあるだろう。そうした音を受け入れて、さらにその外側へと進んでいけばよいのである。

注意深く耳を傾けよ。耳に聞こえてくる些細な音の一つ一つを味わうように楽しむこと。虫の歌う声が聞こえているかもしれない。木々の葉の中を渡っていく風の声を聞くかもしれない。もちろん、都市の中で風をひらいているなら、「不自然」な音もたくさん聞こえてくるだろう。クラクションやサイレンの音、人々の話し声、ざわめき、雑踏の騒音、自動車や電車のたてる音、工事現場の機械音、暗くなってつき始めたネオン管の立てるブンブンという低い音、電球のフィラメントや蛍光灯のブーンという低い音。しかし、聞こえてくるのはそうした人工的な物音ばかりではないはずだ。耳を傾ければ、全神経を集めて、全身を耳にしてよく聞けば、その中に今まで自分が絶対に気がつかなかったような音が混じっているのだって聞き分けることができるだろう。南青山の8階建てのビルの屋上のテラスで一人腰を降ろして夜風に吹かれていた時、鳥たちが餌の虫たちを求めて飛び回る音を、すぐ近くに聞いたことがある。隣のビルの中で人々の立てる物音だって聞こえた。その気になって聞くと、人々の話す声があまりにもよく聞こえて、何を言っているかもわかるぐらいで、驚くほどだ。

あなたがどこにいようと、田舎であれ、都会であれ、風をひらくために二番目に引いたさらに大きな円の中には、最初の円の中には無かったような音を立てるものがたくさんあるに違いない。それでも最初の円の中にあった音を忘れるなかれ。その音を聞き分け、さらにたくさんの音に耳を傾けていくこと。そしてまた目を開く。最初の夜は、もうそのくらいでけっこうヘトヘトになってしまうかもしれない。もう続けられないと判断したら、そこでやめてもかまわない。

こうやって二つの目の風を押しひらくことができるようになるまでに、人にもより、そしてその人の集中力にもよるけれど、数10分でできてしまう人もいれば、自分の呼吸のリズムに浸っていて数時間を過ごしてしまうこともあるだろう。

一度これお試しにやってみるだけで、自分の音に対する集中力が飛躍的に高まることを、あなたは実感できるはずだ。そうやってさらに大きな輪を思い描いて、さらに遠くの物音に集中したければそうするのもよいだろう。

集中力が高まると、数十メートル、数百メートルも、時には数キロも、そしてさらに遠くまで離れた物音を聞き分けることだって、できるようになるのだ。

たとえば砂漠などでは、どこか遠くで蛇が動く音だってたちどころに認識できたりする。

遠くの丘のいただきでコヨーテの吠える声も、通りの向こう側の街路樹のカエデを揺らす風の歌も、耳に入るようになる。

自分に今まで聞こえていなかった音がたくさん存在するということが、何度か風をひらく体験を持った人には、よく理解されると思う。

●数万年前から変わらない風の物語は終わることのない円の上を吹いている

私たちの耳は、自分が思う以上によく聞こえる。これまで、大きな物音で耳の中をいっぱいにし続けてきたために、小さなささやきのような物音が聞こえなくなっている。こうした物音、つまり「自然の囁き」を理解できるには、「風をひらく体験」をしていただきたい。

そして、ひとたびあなたがどうやって風を開くかを、つまりそのことによって耳に聞こえる一つ一つの音の発している源を認識する技を学ぶと、さまざまな興味深い体験を得ることができる。

例えば広いパーティー会場に大勢の人たちが集い、それぞれにグループを作って話をしている場に足を踏み入れたとすると、会場の外れで話し合っている人たちの会話だって聞き分けることができる。風を開くことの本質的な素晴らしさ喜びは、自分を取り巻いている世界の音のひとつひとつすべてに耳を傾けることができる。

私がカリフォルニアの砂漠デスバレーで友人とキャンプをした時、広大な砂漠の外れに、ネイティブの人たちが「大きなバスケット」と呼んでいる、巨大なクレーターが天に向かって口を広げていた。クレーターの縁が稜線となっていて、さながらお鉢めぐりのように、その周囲を巡って歩くことができる。クレーターの底までトレイルを下って降りることもできた。周囲を全て歩くと、2~3時間はかかる穴で、そこには数えると4つのピークがあった。その2番目のピークは人ひとりが腰を下ろせるぐらいに狭いものだったが、私はそこを自分の場所として風をひらいたいことがある。両足をクレーターに向かってだらりと下げて目をつぶっていたある時のことだった。

風を切る羽の音が聞こえてきた。目を開けると、それは一羽の大きな鷲だった。クレーターの縁に沿って吹く上昇気流の風をつかまえ、羽を先端まで思いっきり広げ、気持ち良さそうに、そのまま一つの場所にとどまろうとしていた。私は時間が止まったかのような錯覚を覚えた。鷲は、手を伸ばせば触れるぐらいに近くを飛んでいた。鷲の羽の一枚一枚がそれぞれにかすかな別の音を立てるのまでを聞いた。その羽の音と鷲の顔の表情は、一生忘れることはないだろう。

それ以後、私は色々な場所で耳を傾けてきた。さまざまなものの語る話を聞いてきた。

そうやってたくさんの物語を聞くことで、私は世界を理解しようとしているのかもしれない。そして、私に風をひらくことの楽しみを教えてくれたアメリカ大陸のネイティブの人たちに深い感謝を感じながら、今も、さまざまな音を聴き続けている。終わりのない円の上を吹く風を、数万年前から変わることのない風の物語を。

文:北山耕平(作家・翻訳)あなたをとりまく「自然」と出会うために(2/2後編)

鈴木七仲・高橋明宏編集「自然な生き方と出会う」(サンマーク出版)より要約

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