生きていることはただごとではない!

私たちは、あり得ないほどのいろいろな幸運が幾度にも重なって誕生し、辛うじて生きていられる。いや、生きているというよりも、生かされていると言ったほうが、より正確かも知れない。

「医者だけが知っている医者と薬に頼らない生き方」医学博士 岡本裕氏より智慧を仕入れる。

免疫力を上げる3つの秘訣 その①「いい人」をやめる

●「いい人」は寿命が短い

よく「人生の最大の敵はストレスだ」と言いますが、まさしくそのとおりだと私も大いに納得してしまいます。

人生はストレスの連続です。自分の思いどおりにいくことはあまりなく、理不尽なこともなにかと多いものです。この“世間”という海原は、ストレスに満ちていると言っても過言ではありません。

しかし、そんな世間にもめげることなく、うまく荒波を渡っていく一団もいます。そんな人たちのことを、私は「ストレス上手」と呼んでいます。

私は医師として、老人ホームでの医療に長いこと携わっていますが、じつは老人ホームには、この「ストレス上手」がけっこういます。そんな彼らに、その極意を訊いてまわるのが、私の使命でもあり、楽しみの一つでもあるのです。

彼らの共通点をあげてみますと、楽観的、とぼけ上手、いい加減、くわせ者、したたか(でも憎めない)というところでしょうか。一言でまとめますと「逆らわず、従わず」ということになると思います。いかにもストレス負担は軽そうでしょう?

私も彼らをみていると、ストレスそのものが逃げていきそうなオーラさえ感じさせられます。彼らは非常に元気で、かつ長生きをされています。10年あまりの付き合いになりますが、ほとんどの方が今も元気に過ごされています。

そんな彼らにあやかって、私も座右の銘として「逆らわず、従わず」をモットーの一つとしています。

「逆らわず、従わず」

とても含蓄のある言葉ではないでしょうか。ストレスをうまく手なずける、実に有効な手段だと、私も重宝しています。

ストレス上手は、元気で長生きの極意と言ってもいいかと思います。彼らの長い人生も、決して平坦ではなかったはずです。きっと紆余曲折、いろいろな苦労があったと思います。

しかし、彼らはあまり苦労とはとらえていないご様子で、振り返ってみれば、わりと楽しかったとお話しされます。だからこそ、ストレス上手なのかもしれません。

●長生きするお年寄りに「いい人」は少ない

もしあなたが、まわりの人たちから「いい人」と呼ばれたり、思われたりしているなら、それは少し由々しきことかもしれません。なぜなら、まわりの人たちから「いい人」と思われているとすれば、相当なストレス負担がかかっていると想像できるからです。

先に断っておきますが、ここでいう「いい人」とは、どうでもいい人という意味の「いい人」ではありません。あくまでも、ほめ言葉としての「いい人」です。

人は皆、考えや思いが異なります。まったく一致することなどあり得ません。必ず何かしらの摩擦や軋轢はあるはずですし、好き嫌いもそれなりにあって当然です。

それなのに、誰とも人間関係がスムーズにいくとすれば、それはその人が、よほどの人物であるか、あるいは八方美人という我慢の産物なのか、そのいずれかです。

あなたが前者であれば、何の問題もありません。まわりの人たちから、大いに尊敬されていることでしょう。

しかし、たいていの「いい人」は後者ではないでしょうか。この場合、あなたに大きなストレスがかかり続けているはずです。

私はe-クリニックのスタッフ医師として、今までに3000人あまりのがん患者さんと会ってきました。がん患者さんのほとんどは、真面目で謙虚な、本当に「いい人」です。そしてまた、がんから治りにくい人も「いい人」に多いのです。

一方、先ほど述べたいつまでも元気な老人ホームのお年寄りたちに、「いい人」は多くありません。

他人と争うことはしませんが、では何でも素直に受け入れるかというと、そんなことは決してなく、なかなかしたたかです。

あからさまには逆らわないのですが、自分の意に添わないことは、笑ったりとぼけたり、話を逸らしたりしながら我を通そうとします。結果として従わなくてもいいように、巧みに事を運んでいくのが上手なのです。私もよく一杯食わされます。

また、周囲に迷惑をかけるというほどではありませんが、他人に合わせようとする意識なども「いい人」に比べれば希薄です。

見方によっては自分勝手なのですが、それを感じさせない憎めないところも持ち合わせている人たちばかりです。つまり「いい人」のほうが、そうでない人よりも短命と言えます。

●集団に溶け込める人は長生きする

老人ホームには、元気で朗らかな方ばかりが入居されているわけではありません。どちらかと言えば暗い、理屈っぽい、細かいことにこだわる、よく怒る、生真面目、というイメージのお年寄りもいらっしゃいます。

彼らも、先に述べた元気なお年寄りたちと、似たような体験をされてきた人たちだと思います。しかし、よくヘルパーや看護師、ほかの入居者さんと行き違いがあったり、もめたりしています。

ただ、一人ひとりしゃべってみますと、かれらはそれなりに「いい人」たちなのです。根が真面目なので指導は聞いてくれますし、入浴時間や献立の制限など、老人ホームのルールも守ってくれます。わがままということもありません。

つまり、彼らはうまく老人ホームという集団に溶け込めないだけなのです。だからというわけでもないのでしょうが、体調を崩したり、病気になったりする頻度は皮肉にも、こちらのお年寄りたちの方が格段に高いようです。

人は、自分の姿を自分の目で直接見ることはできないので、鏡をとおして自分の姿をうかがい知るしかありません。ただ、鏡に映った自分の姿は、言うまでもなく実像ではなく虚像です。

同じように、自分への評価はなかなか自分ではしにくいものです。他人という鏡をとおして、はじめて自分の評価を知るのが一般的です。つまり、社会における自分の評価は、得てして他人が決めてしまうということです。

他人の評価と自己評価とがかけ離れていなければ、何も問題はないでしょう。しかし、往々にして、他人の評価と自己評価は異なるものです。それも多少ならともかく、大きく食い違っていたときにどう振る舞うか。つまり、他人の評価にどれだけ比重を置くかが問題となります。

このあたりのバランス感覚が、ストレス負担の軽重が決まる重要なポイントになるのではないでしょうか。

●なぜ「いい人」は寿命が短いのか

ストレス負担の大半は、人間関係に由来します。言い換えれば、他人の自分への評価に由来するということです。親、子供、友人、上司、同僚、部下、近隣の人とたち、あるいは世間の人たちなど、自分が関わっている人たちとの関係、つまり、自分に対する評価に由来すると思います。

そこで、大きく二つの選択肢が生じます。

一つは、まわりの評価に比重を置き、まわりの評価をいたく気にする生き方。

もう一つは、自己評価に比重を置き、まわりの評価をあまり気にしない生き方。

前者の場合は、まわりとの摩擦もほとんどなく、あなたはまわりから「いい人」と映るでしょう。しかし同時に、まわりと自分との評価の違いにストレス負担を感じるはずです。そして、そのストレス負担は長く続いていきます。

一方、後者は、まわりの評価をある意味では否定するわけですから、当然のことながら周りとの摩擦は絶対にあるはずです。まわりから「いい人」と思われることはないでしょうし、場合によれば嫌われたり、疎んじられたりすることもあるかもしれません。ですから、ストレス負担もきっとあるはずです。

しかし、すでに「いい人」ではないというレッテルを貼られてしまったので、今後は「いい人」であることを期待されることもなくなります。したがって、ストレス負担はだんだんと小さくなり、次第になくなっていくはずです。

「いい人」になるメリットも、たしかにあります。あなたが「いい人」になれば、当面の争いごとはなくなりますし、敵もいなくなります。快適な群れの中で安住できるかもしれません。だから、多くの人が「いい人」になりたがるのでしょう。

しかし「いい人」というレッテルを貼られてしまうと、ますます周りの期待も膨らみ、ますます「いい人」を演じていかなければならなくなります。そしてそれは、本当の自分を殺して生きていくことと同じなわけですから、ストレスもますます募るばかりです。

少し長い目で見てみると「いい人」になるのも、それなりの覚悟がいることがわかると思います。それだったら、最初から「いい人」にならないと決めてしまえばどうでしょうか。最初から堂々と開き直って生きるということです。

もちろん、最初は何かとギクシャクしてしまうかもしれません。敵もできるでしょう。しかし、ストレス負担は一過性に生じるだけです。ある意味では、その後は自由きままにいきていくことができます。

すでに今「いい人」になっていて、生き方を変えたいという人は、徐々にシフトチェンジしていけばいいと思います。急に変えるのも、それはそれでストレス負担がかかるでしょうから。

さて、どうでしょう。あなたは、どちらがお望みですか?

●がんサイバーたちは「いい人」をやめている

「いい人」になると、中長期的に心身への負担が大きくなってしまうことは、先ほどから述べています。ストレス負担が慢性的に続くことで、心身へのダメージが募り、病気になったり、寿命を縮めたりする確率が高まるからです。つまり「いい人」の生き方は、じつは体に悪い生き方だということになります。

あなたは「いい人」になる必要もないし、むしろならないほうが体にいい、というのが一つの大きな結論です。

私自身は、少しくらい嫌われた方が人間臭くていいと思っています。そもそも誰からも好かれる人に、ろくな奴はいないと思っていますし、少なくとも私が見てきた限りでは例外はなさそうです。私なら、あまり自分を主張しない人、つまり自分の人生を生きていない人とは、友だちになりたいとは思いません。

だからといって、他人の評価を全く無視してしまうのも、それはそれで行き過ぎかもしれません。しかし、必要以上にあまり気にし過ぎないほうがいいのは確かだと思います。おそらく、まわりもそれほど真面目に、あなたのことを評価しているわけでもないでしょう。

そういう意味では、まわりからの評価など、けっこういい加減なものだと言っていいと思います。たまたまいい評価を受ければ素直に感謝し、悪い評価を受ければ見る目がないとうそぶく——。私はそう気楽にかまえて生きてきましたが、今までのところ何ら支障はありません。

がんサイバーの方たちが、よくがん患者さんに言うことがあります。それは「いい人を早く卒業しましょう」です。

その理由は、ストレスは往々にして「いい人」に集まってしまうからだとのこと。

なるほど。たしかにそのとおりだと私もつくづく思います。

医者だけが知っている医者と薬に頼らない生き方 著者:医学博士 岡本 裕 発行所:大和書房 より要約

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